4.大政支線(最長の上下二線とインクライン跡)

大政線は藤ノ川橋の横にある二つの倉庫の間を軌道跡Aから対岸の軌道跡Bに進む。(当時木造橋が架かっていた。)

軌道跡Aの場所。二つの倉庫の間から対岸の軌道Bの橋台跡と軌道跡が小学校の体育館の方に向かって伸びている。

軌道跡Aから軌道跡Bに橋が架かっていた痕跡がわかる。石垣を新しく築直した跡が見える。

軌道跡は藤ノ川小学校横を抜けるところに、引かれていた大政支線。矢印は大政支線が延びる方向。矢印先端上に郵便局がある。

左の軌道跡Cは車道として使用されている。害獣よけフェンス有り①。進むと軌道側面を支える立派な石垣が残っている②。河原で直径2㎝弱の人工穴が開いてる石を見つけた③。

軌道跡Dには橋台跡が残っている。

軌道跡Eは当時あった橋から現在の車道に合流。

軌道跡Fで枝線が対岸に渡る。理由は軌道跡Gのインクラインがあったからである。

軌道跡Hは車道のような急坂は無理であるため奥まで伸びて急カーブしていた。

軌道跡D
軌道跡E①

車道下にある橋台。軌道跡Dから対岸をみたもの。

軌道跡E②

橋台の上の様子:車道側

軌道跡E②は車道側に合流する場所のもの。
椎茸原木のある場所を左右に二分している。

軌道跡F

車道対岸に石垣が見える。ここはインクラインで下ろされた材を積み込む場所だった。
案内してくれた阿部敦雄さんと武内幸男さんが石垣を見ている様子。

対岸のインクライン跡を案内してくれたのは家がこの近くにある稲田美文さん。小学校低学年の時に、インクラインが動いているのを見ていたそうだ。
川水が少ないので対岸にわたっていける。

軌道跡G

山上に向けて一筋の痕跡を見せるインクライン跡。
下から見上げた様子

対岸の様子 左手にインクライン跡

軌道跡H(車道ヘアピンカーブ上)

軌道跡H①

軌道跡H②

矢印奥へ100mほど進んだ所で、軌道が急カーブして標高を上げる。急カーブの先端は崩落し周辺の石垣は残る。

軌道跡H③

軌道跡H④
★★から写真手前(写っていない)に向かい急カーブを描き、★に標高が上がっている。
★★は用水路跡。左の石垣上が軌道跡で「軌道跡H①」から来た場所。

軌道跡H⑤
急カーブ先端の様子。崩落を受けてはっきり残っていない。
★印まで機関車がトロッコを運搬。

軌道跡Cから後の大政支線全図(素人作成を陳謝・水色はインクライン)
上下に分かれて2線あった。稲田氏によると上の軌道が先に引かれていたという。

軌道跡I

林道と軌道が交差する電柱30と31番の間。軌道跡Hの場所に水路跡もあることから等高線から考えると、擁壁のあるところが大政上段支線の軌道と林道の交差したところと思われる。虫木山支線も車道と交差したところは土留めのための擁壁が作られていた。

軌道跡J

林道にある電柱31番の南谷向かいにインクラインがあった。

軌道跡K

34番電柱。下の谷を見ると鉄橋が確認できる。大政下段支線

軌道跡L

電柱番号43番の場所。民と官の境目の標識がある。沢を下ると軌道跡Mへ。近くに自分の山があるからと案内をしてくれた稲田美文さん。

軌道跡M

沢を下るとすぐ左(上1)写真の軌道跡が出現する。この先は少し駄場になっており、生活感がある作業場の様子が目に浮かぶ。川向こうに立派な橋台があるので橋が架かっていたのは明らかである(写真右(上2))。

複数ある皿の欠片。

橋台の先は軌道跡が続いている。

向こうに見える駄場と橋台の間にある刻印された川石。
文字、漢数字は謎。「山、十、十、二、七、二」

軌道跡N

軌道跡N①
北から順に)

軌道跡N②
沢に架かっていた橋の代わりに倒木がある橋台

軌道跡N③
下に下段線がある(振り返って見た石垣)

軌道跡O

(駄場/川に中州あり)に到着(右~手前~左へ)Pに向かう

軌道跡P

大政上段支線の終着点 材の積み込みだけでなく事務所・住宅があったような跡が見られる

軌道跡Q

北から順に軌道跡K~Oの間を辿ってみた。上段支線の途中から軌道跡Oに向かって引かれている

下段支線のポイントとなる鉄橋

軌道跡Q①

軌道跡Q②

軌道跡Q③
上段線の石垣が見える

軌道跡O

中州の様子 何かの神様を安置したような祭壇跡と思われる石垣壇があった。大きな駄場になっているため、集材だけでなく生活感がある建物の跡、煮炊きをしたであろう跡のようなものも発見できた。軌道跡Oは上段と下段が交わる場所ならではの雰囲気があった。

祭壇?跡①

祭壇?跡②
①と異なる角度から

鍋と鍋の蓋か街灯の傘のような物

軌道跡R

この線は崩落がひどく大半想像により描いている。R②は大政林道(沢)にもう少し近いところだった可能性がある。R③から④まではほとんどわからない。また、インクラインの上部にはたどり着けなかったので、後進の調査に期待したい。沢にたくさんのレールが見つかり、軌道の証拠となった。

軌道跡R①
大政林道終点付近に残るレール

軌道跡R①

軌道跡R①

軌道跡R②
軌道らしい痕跡

軌道跡R③

軌道跡R④
沢向かいに炭窯跡。ここよりもう少し登るとインクライン跡へ。

軌道跡Rインクライン底部先端付近

大政別線

大政支線の軌道跡Mに繋げられなかった線がある。桧尾山国有林に向かって伸びる別線だと言われている。大政支線と10mほどしか高低差がないため桧尾山の材をインクラインではなく落とした(はねた)らしい場所(右)もあった。

大政支線のインクライン跡

地元の方に確認できているものが3カ所ある。勝手ながら図のように上中下段の名前をつけた。

上段インクライン跡(軌道跡R)

底部先端は確認できた。しかし、頂部には足を運んでいないので、頂部の水平軌道が左右どちらに引かれていたのかはわからない。
底部先端付近の座標は次の通り。

N33’08’38’26   E132’51’30’68
中段インクライン跡

中段インクライン跡①

中段インクライン跡②

①車道電柱31番の川向かいにあるインクライン跡。大政林道では、案内の武内さんが示した場所にある。インクライン跡は植樹されほぼ痕跡がない。
②この道の真下に堰堤(砂防ダム)がある。

下段インクライン跡

インクライン中腹から上を見上げた様子。
インクラインの溝は歩きにくいので左側の上を歩く。
途中、道もあり無事に頂部(次写真)へ到着できた。

右奥にインクライン跡の溝がある。左奥に水平軌道跡が伸びている。

軌道跡S

下段インクライン水平軌道
S②を過ぎた辺りで崩落が大きく谷側へ降りて迂回する必要がある。S⑤から先は道があるようでない。国有林から民有林になるため進むことはおすすめしない。しかし、携帯電話の電波が入るので自分の位置を把握しながら水道取水地に降りることができる。

S①
頂部を水平軌道側からみた写真
矢印のように軌道が引かれていたようだ。インクラインの溝があり、頂部は中央が盛り土になっている。空のトロッコは矢印のように水平軌道に戻っていく。

S②

S③

一升瓶が転がっていた。

S④
倒木がゲート?に

S⑤
間伐材の放置が目立つ。建物跡の石垣が残る。

「除地がない」大政支線周辺
営林関係用語で土地が良く、植林に向いていることを言う。
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