3.虫木山支線(トロッコの急カーブとインクライン跡)

次に虫木山支線を辿ってみる。藤ノ川橋を過ぎ三叉路交差点を右、竹屋敷方面に軌道(レール)が引かれていた。軌道は写真の車庫の向こう側を通り橋(今はない)を経て右に弧を描いて引かれていた。

上空からみた写真左(上)。山父支線と三叉路で合流していた。橋の架かっていた場所は手積みの石垣がコンクリートブロックになっていた。赤い矢印のルートを教えてくれたのは近所の岡田昭子さん。

軌道は赤矢印の先にある大工小屋の後ろを通りぬけて、現在の道に合流。手前の建物は消防津野川分団屯所。写真にある電柱の奥に見えるのが大工小屋。

右に進むと、中村・堂ガ森の標識がある。
曲がらず前に進む。この道が軌道跡。

Aの地点

道なりに進んでいると、道路は左にカーブするが曲がらず山際に進む道(橋)がかかっている。
橋は架け替えられているが、これが軌道の痕跡A(写真あり)でここからしばらく車道の対岸を軌道が通る。確かに軌道の痕跡が見える。この軌道は谷が狭くなってくると一気に急カーブを描いて車道側に向いてくる。そして標高260mから車道の上270mへ。さらにの場所から超ヘアピンカーブでさらに280m弱の高さまで軌道を上げる。

左(上)の写真は、Bの場所を車道の坂上側から見たところ。コンクリートブロック擁壁からC地点に登っていく軌道。矢印の先には、材を積んだトロッコがギリギリ曲がれる超急カーブがある。矢印の向こうにはC地点。民家があるため、材が民家に落ちないようにするためのカーブと思われる。黒尊森林軌道にも大曲の軌道跡が残されているが、それを上回るカーブ。材の長さは4mと決まっているので、果たしてトロッコは曲がれたのか疑問に思った。

C地点の超急カーブに行ってみた。矢印の方向に材を載せたトロッコが下ったはずだ。そこで竹をつなぎ合わせ4mの材の長さを再現。見やすいように両端には軍手をつけている。材が(トロッコのサイズは魚梁瀬森林鉄道資料館で確認している)回れたのを確認した。写真の右側には何もないので、(切り立っている)材は空中を舞うように旋回できていた。

山から運ばれた材は青矢印に進みC地点の急カーブへ。急カーブから赤矢印に進んで下っていき、B地点に進んでいく。ここでの高低差は約2m半ある。

虫木山支線はC 地点から山中に向けて標高を上げていく。軌道跡がまだ残っているが所々の谷にある石垣は崩壊が始まっているため、魚梁瀬森林軌道のように保存が望まれる。この軌道跡は旧うどん屋があった場所の上方で車道と合流する。

旧うどん屋を過ぎると、虫木山支線を通る車道もまもなく谷川を前に行き止まりとなる。途中には家屋があったであろう石積みや、軌道用の石垣(排水口付き)など立派な構造物が残っている。

虫木山線に沿った車道も沢の手前で行き止まり。 対岸には石垣がたくさんあって、事業所の建物があったと思われる。おそらく対岸には軌道の橋が架かっていたと思われる。対岸に渡るべく沢に降りてみる。ここからは阿部敦雄さんの友人である武内幸男さんの案内で、この先にあるインクライン跡を目指す。

武内さんはイノシシを捕るため、よくこの場所にくるそうで、足場の悪い道でも60㎏のイノシシを二人で担いで帰ってくるそうである。ついて行くのがやっとだった。腰につけたナタやのこぎりを駆使して邪魔な小枝を掃討してくれた先導で大変助かった。沢に降りて「後ろを振り返って見てみいや」と。
言われて見るとそこには沢に架かっていた橋台跡があった。沢の奥には事業所跡と思われる石垣。

沢に降りて振り返ると右岸にあった橋台跡の石垣。

沢を渡った対岸から20mほどで沢を渡り直して、山道を登ると突然斜め45度くらいのスロープが現れる。これが虫木山支線のインクライン跡。上まで登ってみる。

U字の溝がまっすぐ上に伸びるインクライン跡。沢を渡ってからここまで約20分。

インクラインの上端は広くなっていた。
武内さんの話では、積み下ろす材の置き場や人の休む場所、インクラインの機械を据え付けたからだという。藤ノ川のインクラインは、魚梁瀬のように発動機によるものではなく、重力式で、材をのせたトレーが降りると、次に載せるトレーが上がってくるようになっていた。

虫木山支線のインクライン跡を上端部から見下ろす。

この後、インクラインを通って降りていったがあまりにも急斜面のため、何回も滑って擦り傷をつくった。
もちろん武内さんは平気である。

虫木山インクライン上座標/N33.10.01.32   E132.51.46.82

虫木山インクラインの下座標を計測するのを忘れており、想像で黄色線を引いた衛星画像(上写真)。天理教本殿(奈良県)に使用された桧はこの虫木山から運び出されたそうである。
ちなみに用井で営林署が行った催しで藤ノ川の天然桧が展示されたことがあった。樹皮を剥いだ白い木肌は他の桧にはないピンクがかったものだったらしい。

営林局の資料では虫木山支線は山父支線より長い。しかし、三叉路からインクラインの場所までの長さは山父支線より短い。おそらくインクライン最上部から東奥へ等高線にそって対岸の山まで伸びていたのだと思われる。今回の調査では、そこまで辿りきっていないので、詳しいことを知るためには再調査の必要がある。

阿部さんがインクラインの説明をしてくれている様子。 (武内幸男さん撮影)

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